· 

トランプ前大統領暗殺未遂事件の考察

 

ようやくいろいろな情報が出てきましたので、ここで今回の事件についてまとめて考察をしてみたいと思います。事件の概要については既にニュースなどで多くの情報が公開されていますので、ここでは割愛します。

 

 

 

【要人警護について】

まず、基本的な情報として、身辺警護・要人警護業務を含むセキュリティ(警備)業務は、大きく3つの時間枠で構成されます。

 

(1) 事前行動

セキュリティにおいて最も重要で時間をかけて作業すべき時間枠が「事前行動」です。事前行動の時間枠には、情報収集・情報分析(脅威評価)・警備計画・警備準備の4つの作業工程があり、必要な情報を集め、その情報を分析する中でどのような脅威が存在しうるのかを洗い出し、各脅威が現実的に発生しうる可能性・現実性を評価した上で、脅威評価に基づいた実践的な警備計画を立案し、計画に則った警備準備を行います。その後、この準備に基づいて平時(緊急事態が発生していない通常の状態)の警備行動(SOP)が実施されます。これらの事前準備と事前準備に基づいた適切なSOPは、言い換えれば「最初の1発を防ぐため」の行動です。

 

(2) 発生時対応

多くのケースでは、事前行動がしっかりと行われていれば、警護業務は問題なく遂行され、危険が発生することなくその業務は終わります。しかし、事前準備が不十分であったり、それを上回る攻撃が行われた時などは、緊急事態が発生します。この時に警護員が取るべき行動が発生時の即応“Quick Response”で、的確かつ迅速な対処行動が求められます。警護業務においては、多くの場合、脅威と警護対象者を結ぶ線上に警護員が割って入る「Cover(即時介入)」という行動を取り、2発目の攻撃や被害の拡大を防ぎます。

 

(3) 事後対応

発生時行動(Cover)が的確に行われた後、次に警護員が取るべき行動は「現場退避(Evacuation)」です。攻撃は1回で終わるとは限りませんし、攻撃者が1人とも限りません。危険から警護対象者を確実に守るためには、脅威から物理的距離を取るしか方法はありませんので、できるだけ早く“Hot Zone(危険ゾーン)”から警護対象者を遠ざけなくてはなりません。この時警護員は、警護対象者を脅威から守るため、前述した“Cover”を行いながら“Evacuate”します。これが、危険が発生した際に取る緊急時行動の基本行動「Cover & Evacuate」で、米国シークレットサービス(USSS)では徹底して教え込まれます。

 

(2)発生時対応と(3)事後対応は、緊急事態が発生してしまってから取るResponse(事後対処)であり、これらは、次の攻撃や被害の拡大を防ぐことを目的としています。つまり、最初の1発目(1撃目)を防ぐには、(1)の事前行動が重要となります。

 

 

 

【シークレットサービスの行動について】

次に、今回の事件で行われた米国シークレットサービス(USSS)の行動を考察してみます。

 

今回、USSSのエージェントたちは、銃声が聞こえた直後すぐに行動を起こし、警護対象者を取り囲んで素早く“Cover”することができています。また、その後も、闇雲に逃げるのではなく、安全を確認した上で警護対象者を立たせ、最も近いところにあった予備の車両(防弾車両)に素早く警護対象者を移動させ、現場を離脱しています。これらの行動は、前述した(2)発生時対応と(3)事後対応がしっかりとできていたことを意味しています。この彼らの行動は素晴らしく、正しい教育訓練が行われ、訓練の成果が発揮できたものと思います。

 

一方、今回は警護対象者が怪我を負うという警護の失敗がありました。どんなに素早く“Cover”ができ、的確に“Evacuate”できたとしても、警護対象者が怪我をしてしまった以上、また、攻撃者が攻撃を実施できてしまった以上、警護は失敗です。今回USSSは、発砲が起きてからの事後対処はしっかりとできていましたので、問題が(1)の事前行動にあったことは明白です。では、(1)事前行動のどの作業工程でミスがあったのでしょうか。これはこれからの調査でわかってくることかと思いますが、前述した事前行動の各作業工程で起こりうるエラーには以下のようなものがあります。

 

・情報収集エラー

今回の警護業務に必要な情報を事前にしっかりと入手できていなかった。または入手できていたにも関わらず、その情報の重要性や必要性に気付かなかった・無視してしまった、など。

 

・情報分析(脅威評価)エラー

必要な情報はしっかりと収集できていたものの、その情報を分析する段階で適切な脅威の評価ができていなかった、または脅威をあまく評価してしまった、など。

 

・警備計画エラー

情報収集やその分析(脅威評価)はしっかりとできていたものの、警備計画を立案する段階で、想定される脅威に的確に対処できるような計画になっていなかった、または計画に漏れがあった、など。

 

・警備準備エラー

情報収集や分析(脅威評価)、その後の警備計画まではしっかりとできていたものの、実際に警備を実施するための準備段階で必要な準備が整わなかった、または整えることができなかった、など。

 

・SOPエラー

これまでのすべての作業工程はしっかりとできていたにも関わらず、警備計画に基づいた警備・警護がなんらかの理由で正しく実行されず、警備に弱点ができてしまった、など。

 

 

今回の暗殺未遂事件の発生は、上記のいずれかのエラーまたはその複合的要因によるものと考えられます。ただし、たった130m程度の距離にある建物に、アサルトライフルとハシゴを持った攻撃者が容易に近づくことができ、屋上に上がることができ、かつプローン(伏射)の姿勢でしっかりと銃を構える時間まで取れたことは、どう考えても地元警察やUSSSの警備行動(SOP)のエラーであるとは考えにくく、そもそもそのエリアの警備体制に問題があったとしか考えられません。そうなると、警備計画や警備準備の段階では既に警備の弱点ができてしまっていたことになります。

 

攻撃者は、「いける」と思える“タイミング”や、「今しかない」と思える“タイミング”があると攻撃を実行に移します。これはセキュリティでは“Opportunity(犯行機会)”と言われ、どんなにしっかりと準備し、モチベーションの高い攻撃者であっても、その瞬間に“Opportunity”がなければ行動は起こしません。今回、攻撃者にとっては、建物に近づっくことができ、屋上に上がることができ、しかもしっかりとプローンの姿勢まで取れたことに加え、ターゲット(トランプ前大統領)までの見通しが良かったこと,自身の射撃技術の射程内の距離であったことなどが積み重なり、攻撃の“Opportunity”が完成されたと思われます。大きな事件や事故は、たった一つのエラーで起こることは稀で、多くのケースにおいて、複合的な要因が見受けられます。今回の事件についても、恐らくどこかのタイミングで攻撃者の“Opportunity”を挫くセキュリティの機会があったはずです。いくつものエラーが重なり、攻撃者に“Opportunity”を与えてしまったことは、明らかなセキュリティのミスです。この辺りは今後の調査でいろいろと判明してくると思います。

 

 

 

【安倍元首相暗殺事件の時との違い】

3年前、安倍元首相が銃撃され暗殺された時も、大勢の群衆がいる中での選挙活動中の出来事でした。今回の事件との共通点としては、群衆が目の前にいる場合、セキュリティ側はすべての人を細かくチェックすることはほぼ不可能で、ましてや銃器を使った攻撃が行われると、人は銃弾よりも早く動くことはできませんので、警護対象者を守るのは容易ではありません。安倍元首相暗殺事件の時と異なり、今回の演説会場では、しっかりとバウンダリー(警備境界)が設定され、境界内(制限エリア内)への出入りには金属探知機などを使ったアクセスコントロールも実施されていました。このため、バウンダリーを超えて制限エリア内に入場した群衆は比較的安全であることが想定されました。このバウンダリーとアクセスコントロールがしっかりと行われていたからこそ、攻撃者は近距離に近づくことができず、制限エリアの外から攻撃を行う「狙撃」という手段に出ました。

 

安倍元首相暗殺事件の時は、残念ながらこのバウンダリーもアクセスコントロールも実施されておらず、誰でも容易に警護対象者に近づくことができる状況でした。それまで銃撃による攻撃を経験したことのなかった警察SPの警護体制は、完全に超近距離警護となっており、まさか離れたところから攻撃されるとは想定もしていなかったと思われます。そのため、銃声のような大きな音がなってもSPや地元警察の警護担当者がすぐに“Cover”という行動を取らなかった(取れなかった)のです。また、その後のSPたちの行動は、犯人を取り押さえることに専念してしまい、警護対象者を安全なところへ移動させる“Evacuate”という行動も取れていませんでした。これは、彼らの教育訓練の方法に問題があったことと、現場の警察官たちの危機意識の低さが原因です。この点、USSSのエージェントたちは、過去に何人もの大統領や大統領候補者が銃撃された経験を持っているため、銃声後の行動はしっかりとできていました。我が国の警察警護も、安倍元首相暗殺事件の苦い経験から多くのことを学んだと思います。

 

今回のUSSSの問題点は、事件発生後の行動ではなく、事件発生前の“事前行動”にありました。安倍元首相暗殺事件の時の警察SP等の問題点は、事件発生後の行動に問題があっただけでなく、事前行動もしっかりと行われていませんでした。これが2者の大きく異なる点です。そして2者に共通する点は、「事前行動」に問題があったことです。繰り返しになりますが、「人は銃弾よりも早く動けません。」事件や事後が発生してからの事後対処には、限界があるのです。いくら格闘技ができても、反撃する銃の腕前が高くても、最初の1発は防げないのです。これからの警備・警護は、「最初の1発を防ぐことができるセキュリティ」かどうか、が“鍵”になってきます。

 

 

 

最後に、警護業務に携わる警察SPやUSSSのエージェントたちを擁護する上でも大切なことを記しておきます。

 

100%のセキュリティは、この世に存在しません。

100%の安全も、この世には存在しません。

 

彼らが正しい訓練を受け、しっかりとした警備・警護を実施できていたとしても、どうしても防ぐことのできない“危険”は、この世に必ず存在します。

 

警護とは、警護対象者を100%完璧に守ることではありません。

 

警護対象者の今現在の“安全度”が50%とか60%とかなのであれば、それを1%でも2%でも向上させていく。それがセキュリティの責務です。そのための努力や準備・行動を取るのが警護という職務です。その工程において、努力すべき点が残っていたり、あとから「こうしておけば良かった」と後悔するような中途半端な警護だけは避けなくてはなりません。

 

後悔しない警護を。

 

 

 

2024年7月18日

小山内秀友

株式会社CCTT 代表

国際ボディーガード協会(AICPO) 副長官